ツイッターよりサルベージ&リミックス2-⑧2011年12月31日(土)[3]
今年は各歌手・アーティストがそれぞれに震災の年ということを意識した曲を作り歌ってる分、皆ベクトルが近いものになってしまって、まあそれは当然なんだけども、ただそれが相乗効果というより逆効果になってるような。
重たい曲はオーラスから各3組ぐらいにしとけばよかったんだと思う。もうざっと見ただけで、“そういう意味合い”でグッと来る曲はこれとかこれかな、ってもう分かるじゃん。
不幸なことだと思う。各アーティストにとっては今年という年にそれぞれ強い想いを持った曲であっても、これほどそれが連続すると、「同じお題で作った曲」のショーケースとして比較されてしまう。
あるいは・・・その想いが強すぎるが故に、そもそもそのアーティストのファンとして「入り込んでる」人、あるいは「入り込める」人へは強いメッセージたりえても、広く一般への胸を打つレベルまでは・・・になってしまったりする。
想い自体は本当すばらしい。なんだけども、本当に本当に申し訳ないけども、伝える技量の差みたいなものを感じさせられてしまう。こうして連続して見せられて、ショーケース的に見る意識をさせられる流れになってしまうと。
残りすべてが普段着な曲を選択してて、唯一「そのテーマ」は猪苗代湖ズだけ、という状況だったならば許容されたろう。多分非を唱える人もいなかっただろうと思う。
あるアーティストのライブだったら・・・今ならアンコールあたりで「この2011という年に・・・」みたいな曲を一曲やる、みたいな流れが多そうだよね。しかしこれ紅白は、そればっかりの詰め合わせになってしまってる。となると個々の思い入れの差・もっと残酷な所ではズバリ力量の差が出てしまう。