ツイッターよりサルベージ&リミックス㊼2011年10月28日(金)

自分がかねがね思ってたこととして、そもそもテレビは「スターを茶の間に連れてくる」というところから始まって、その距離がどんどん縮まっていくという歴史であって、ただ今どうのこうの言われる要素は、それがさらに加速してきたからこそだ、というのがあるんだけど、その結果、有名人さんとの距離を“勘違い”するような輩も出るようになったと。日々ネットでツイッターで見られる、直接コンタクトしてもめる、とかのような。テレビをこんなに上からあーだこーだ言う、ってことってのも、実は最近のことだよね。
特に自分が「なんか妙だ」と気付いたのが、岡村さんの例の休業の件で。岡村のことを思う“からこそ”、休むべきだテレビに出さないべきだ、みたいな。皆さんご関係者さんですか?みたいな感じ。

ただそういうアホらしい現象も、そういう「芸能人と茶の間との距離を近づける」をテレビの方もずっとやってきたのもあるからであって、ある程度はしょうがないんかなというのはあって。で他のテレビに関する批判、時折ある「中の人」の反抗もそれから起こってるものなんじゃないかなあと。

で、「ずっと〜」とは言いつつも、今30過ぎの自分の実体験として大きいのは、80年代半ばからの「『業界ノリ』を視聴者も楽しむ」で、ひとつは「ひょうきん族」だと思うんだけども、もうひとつ、あるいはそれ以上に大きかったのは「とんねるずの登場」だったんじゃないかと思う。

というところで、加地氏のルーツが「とんねるず」だった、というのに感嘆してる。単純に年齢としては自分よりもちょっと上だけども、それが世間一般でバブルだったというのを差し引いても、その「みなおか」あたりの時代のパワーが、とても“楽しかった”と自分も思う。
で、こういう匿名でグダグダ抜かしてる自分とは違って、加地氏の場合は、実際現場で、それとは外的環境が変わってるにもかかわらず格闘してると。そういう人が「アメトーーク」「ロンハー」という、今一番視線を集める番組をやってるという事実。

「テレビは芸能人と茶の間との距離を近づけるをずっとやってきた」について「そういうことなので功罪あるけども必然だったんよ。」と言いつつも、正直その「罪」の方に目が行きがちだった最近は。でも確かに「功」もあるんだと。そういうことが自分の中で繋がって感動してますよ、っていう話。


一方、ちょっと話変わって・・・

テレビブロス津田大介と対談してた田村淳には恐れいった。自分が思ってたよりもちょっと器が大きかった。「司会者としての紳助の後継者のひとり」という範疇じゃないな。「今と次の時代を繋ぐ」やりそうな人物のひとり、と言った方が正しい感じ。(なので、ここ数日の、とくダネ発端のどーのこーのも、完全に、絡んでる方がアホらしく見える。自分には。)

「テレビとネットの共存」と一言で言ってもいろんな形・関係性がある中で、そのブロスの対談の中で淳と津田氏で語られてる形が、今までで一番共感できた。
その対談の中で津田氏が、それはまだ人材・ノウハウがまだテレビにあるからだとしていたが、自分は、純粋にネット発で作られたコンテンツで面白い!と思えたものってあんまないんだよね。。。テレビから派生して、単にメディアがネットだった、っていうものぐらいで。

とはいえ、時代が流れていく中で、ひょっとしたらそんなテレビっ子な自分は行き場失くしていくんじゃないかと。今までさんざん嫌ってきた、思い出補正に汚泥していく方面に自分もなってしまうのか、と危惧してたけど、なんか希望の一筋が見えたというか。ちょっと大げさだが(苦笑)