ツイッターよりサルベージ&リミックス㉟2011年08月25日(木)

上地が父ちゃん父ちゃんと言いながら泣いた、がずいぶん冷笑のネタにされてたが、自分は、なるほど文字通りのファミリーだったんだなとしみじみ思った。そういう“疑似家族”的なことをやっていたのは最近では紳助だけな気がする。

そういう“疑似家族”的なことは、まさしく7〜80年代に欽ちゃんがやっていた・・・と思うんだが、そこと何が同じで何が違うかを語るには自分は若すぎるかも。つまり幼少時のおぼろげな記憶だけだから。

欽ちゃんファミリー」に比べたら「ヘキサゴンファミリー」はまだそれぞれ質が高いように思うがどうだろう。でこの震災時に「そういえば気仙沼ちゃんはどうしたんだろう」が話題になるくらいなんだから、ヘキサゴンの方はもっと記憶に残ってくだろうとも。「新選組リアン」とかでも。

でそういう“疑似家族的なもの”ってのは、やっぱり一定数それを求める視聴者がいたんだろうと思うし、そういう層が結構いたからヒット番組になったんだろうと思う。ネットで見てると批判批判しかないが。

一方で今の他の番組の多くは、“擬似会社”だなあとも。先輩後輩なるヒエラルキー(=役職の上下)があって共同でプロジェクトを成功させよう、というような。
ナイナイとか雨上がりとか・・・あと列挙するときりがないこのランクは「課長級」の感じ。とんねるずダウンタウンウンナン等は「部長級」、でビッグ3はもう「常務・専務」だ。たけしは文字通り「管理してるだけ感」があるが、さんまは「現場主義の取締役」なんだろう(だから良し悪し感じたり)。

アメトーーク」の『家電芸人』あたりを、割と本気でビジネス方面が参考にしよう(プレゼンテーションの参考にと)・・・なんて記事を見た時連想したんだよな。だからひな壇芸とか先輩・後輩云々のネタが嫌い、ってのは、「うちに帰ってからもそういう社会の縮図見たくねえ」も作用してるんじゃないかとか。

自分はそういう面でもまた面白い、と思うんだけどね。それを「さんまは破壊した!」とか喜ぶのはまた違うんじゃね?と。また一段高い偉い人だから、ってだけじゃね?と。まあそこは瑣末な批判になるからここまで。

そういう“同調圧力”的なものってのも『会社』に似てるよなあと。上司・部下の関係と芸人の先輩後輩の関係・・・課長級<部長級<取締役級と、「逆にやりかえす」がやりにくくなるとか。あるいは「自分より若い上司」が出来るズレとか。



テレビの向こうに“疑似家族的なもの”を求める人は一定数いる・・・んだけど、それが一気になくなるわけだ。ただ、ことヘキサゴンに関しては「もうやりつくした感」、ちょっとカッコつければ「役割を終えつつある」みたいな最近の様子だったので、「遅かれ早かれ」だったかもしれないけど。
紳助への嫌悪感って、「押し付けがましさ」だったりするんだろうが、それはそれで『父親』をやっていたからだろう。一方でさんまはまた違う『お友達のような父親』をやっていたという感じなのかな。だとすれば『父親像』が違うだけだったのかも。

まあ、M-1が一秒でも面白かった人に批判する資格はやっぱりないわな。「自分の権威に自覚的であった人」だからこその産物なのは他も同じなんだし。

これから先、「新事実」は出てくるかもしれないが、「本当はこんな人だったんだ」という驚きはない気がする。今までにテレビで感じてきた人となり通り。ナイーブさというのか臆病さというのか、その辺のイメージは変わらないだろう。
ああいう人は世の中にはいっぱいいるわけで、だからこそ家に帰ってまでそういう人を見たくない、もあるんだろうが、逆に「ああいう人」を学べる機会でもあったんじゃないか。だからそういう存在が全くなくなるってのはどうなんだろうと思うし、一方でまた別な誰かが担うんだろうなあとも考えられる。

まあ奇しくも会見の中身での、ヤ◯ザへの仁義の切り方も含め、「ちょっと前の時代の生き残り」だったのかもしれない(そういうひとつの「時代の淘汰」だからそれを受け入れよう、という感じが紳助からも見受けられたような)。違う担い手が出ない可能性もあるか。

最初は、そろそろ業界が年末年始の予定を考える時期になった(いや実際は知らないのでそれも憶測ですが)からそれを見越して「年内で辞めます」なのかなと思ってたんだよね。そういう自分を客観的に見れる人らしいし、だから自分の『賞味期限』を判断して半歩前で手を打とうとしたんじゃないかと想像してた。

「新陳代謝が進まない」と言っても、こういう形で退場されてもまた困るわけか・・・