ツイッターよりサルベージ&リミックス㉝2011年08月14日(日)[2]

見てないこと・聞いてないこと・経験してないことについて、「語る資格」は許されても、「語っていい範囲」というものはあるんじゃないか、てのが最近感じること。

最近個人的にグズグズやってる昔のテレビやラジオがどうこうレベルのことから、(話大きすぎるかもしれないが)戦争の経験だの震災の記憶だのも。楽しかったこと・辛かったこと・・・それなりに時間の経過とともに風化する。だからこそ「語り継がなければならない」という言い方にもなるんだろう等と。
「数字」とかの客観性高いものは持ちこせるんだろうけど、どう思った・どう感じた、のようなところは、やっぱり無理があったりもするよな・・・。年代差がなくて同じものを見たはずでさえ食い違うんだから。最後には「前提が違いますわ」なんて悲しい着地で。

「話す資格はある」が「話していい範囲」はあるだろう、は実名さんに対する匿名さんにもあるよな。・・・と言ってる自分も時にやらかすが、「卑しい行為」だとは自覚してる・・・つもりだが、それも怪しいか。